No.001 高松城〈天守台〉
今回で高松城の記事は一旦最後となります。
高松城に建てられた最初の天守は生駒時代の3重天守で、本丸には御殿もありました。
その後松平家が藩主になると、1670年に松平賴重によって改築が行われ、3重5階(地下1階)の天守となりました。
記録によると最上階が張り出す南蛮造り(唐造り)とよばれる様式で、高さは26.6mあり、四国最大規模を誇っていました。
しかし、城は明治維新を迎えて廃城となり、天守閣も老朽化を理由に取り壊されました。
残された天守台石垣は傷みが深刻であったため、2006~2013年に解体修理が行われました。
また、天守台がある本丸は鞘橋とよばれる連絡橋によって二の丸と結ばれています。
この橋は二の丸へ続く唯一の動線となっており、有事の際には橋を落として本丸を守ることができました。
当初は屋根が無い橋でしたが、江戸時代中期ごろに改修が行われたときに屋根が付けられたようです。
現在の鞘橋は1884年の天守解体時に架け替えられたものです。