ねこよしだのお城訪問ブログ

主に日本100名城を訪問します。

No.001 高松城〈月見櫓〉

月見櫓は北の丸の西端、海岸に隣接した位置にある三重三階・入母屋造りの隅櫓です。

建築は1676年といわれ、重要文化財に指定されています。

現在は月見櫓と表記しますが本来は着見であり、船の到着を見る櫓でした。海を監視する役割があり、また藩主が帰城する様子をみることができました。

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月見櫓

外壁に装飾的な黒い長押が取り付けられていること、軒の垂木を塗籠めて一連の大壁としていることが特徴的です。

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月見櫓

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月見櫓

 

No.001 高松城〈披雲閣庭園〉

披雲閣庭園は披雲閣の建築にあわせて、1917年に造営された枯山水の日本庭園です。

庭木には海辺に適したマツ(約600本)やウバメガシ(約200本)が用いられ、また多数の景石が配置されています。

近代に作られた旧大名家の庭園として希少であることから、2013年に国の名勝に指定されました。

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披雲閣庭園

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庭園入口の門

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枯川





No.001 高松城〈披雲閣〉

三の丸には披雲閣とよばれる御殿があります。

江戸時代にも政庁及び藩主邸として現在の2倍の規模の御殿がありましたが、明治時代に老朽化のため取り壊されました。

現在の披雲閣は、高松松平家12代当主の頼壽が別邸として1917年に再建したものです。

建物は伝統技術と洋風技術が融合した書院造となっており、近代和風建築の代表例として2012年に重要文化財に登録されました。

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披雲閣玄関

披雲閣は大書院をはじめ、複数の小座敷で構成されています。

各部屋は蘇鉄の間や波の間など、その部屋から見える風景から名前がつけられています。

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蘇鉄の間

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披雲閣内部

大書院は142畳の広さがあり、屋根裏にトラス構造を設けることによって大規模構造を支えています。

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大書院

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槇の間



No.001 高松城〈桜御門跡〉

 かつて三の丸入口には、藩主御殿の正門として桜御門がありました。

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桜御門跡

桜御門は高さ9m、幅12mの櫓門で、艮櫓のように廃城後も残された建物の一つでした。建築年は不明ですが、記録によると1640年代には存在していたようです。

1944年には旧国宝(現在の重要文化財に相当)に登録されることが決定していたようですが、翌年の高松空襲により焼失しました。

焼失前に撮影された鮮明な写真が残っていることから高松市は復元計画を進めており、発掘調査や石垣の修理が行われています。

 

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焼失前の桜御門 高松市公式HP(http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kurashi/shisetsu/park/tamamo/sannnomaru.html)より

桜御門の手前側には桜の馬場という広場があります。

かつては今の2倍の広さがあり、厩や藩士の屋敷などがありました。

現在は桜の木が植えられており、桜の名所として親しまれています。

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桜の馬場

 



 

No.001 高松城〈艮櫓〉

艮櫓は1677年建築の三重隅櫓で、重要文化財に指定されています。

読み方は“うしとら”櫓と読み、名前の由来は城の丑寅方向(現在の北東)の隅にあったことからといわれています。

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艮櫓

三重三階・入母屋造りで、初重にある大きな千鳥破風が特徴的です。

ところで、現在の艮櫓はかつて太鼓櫓があった場所に建っています。

艮櫓は元々城の東側「東の丸」の隅にありましたが、城の周囲が市街地化する中、保存の問題から1967年に現在の場所に移築されました。

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高松城公式HP(http://www.takamatsujyo.com/annaiheimennzu.htm)より

かつて艮櫓があった東の丸周辺は現在県民ホールや県立ミュージアムとなっています。

県立ミュージアムの玄関横には東の丸石垣の一部が保存されています。

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東の丸石垣(県立ミュージアム玄関)

 

No.001 高松城〈旭門〉

 旭門は高松城の大手門です。

かつて大手門は城の南側「桜の馬場」近くにありましたが、1671年から東側に橋を架け、旭門から出入りをするようになりました。

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旭橋と旭門

建築当初の旭橋は木造でしたが、明治45年に高松松平家当主の頼壽によって石橋に架け替えられました。橋は門に対して斜めに架かっていますが、これは敵の直進を防ぎ、側面から攻撃できるようにするための工夫だといわれています。

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旭門裏側

旭門は高麗型式の門です。

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桝形

旭門から城内に入ると四方を石垣に囲まれた、桝形とよばれる空間に出ます。

桝形は虎口から侵入する敵を足止めし、包囲するための設備です。

かつては写真手前にも櫓門がありましたが、現在は櫓台の石垣のみが残っています。

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埋門

桝形北面には埋門があります。

用途は敵を背後から奇襲するためだとか、藩主が脱出するためなどと考えられていますが、詳しくはわかっていません。

No.001 高松城〈堀〉

往時の高松城は堀が三重に廻らされていました。

城壁が瀬戸内海に面しており、海水が引かれていました。

廃城後、外堀は埋め立てられ市街地となりましたが、中堀、内堀は一部残されました。

現在も水門を通して海水が引かれており、タイやチヌなど海の魚を見ることができます。

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中堀

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内堀

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内堀

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水位調節のための水門

現在の西の丸跡は高松琴平電鉄高松築港駅となっており、内堀のそばを通る琴平線の様子を見ることができます。

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琴平線